はじめてひとりではじめて訪れた街で

一.詩情の街

 美作では雨が降っていたが、津山は晴れていた。
 岡山県津山市。人口八万六千人ほどの、城址のある街。ぼくが尊敬する詩人が生まれた街である。つい二、三日前に急に思い立って、ぼくはここに来ることにした。
 ぼくは些かならず精神を病んでいる。生活に著しい支障を来すほどではないが―――いわゆる神経衰弱というやつだ。時折、重力を実際よりも大きく感じたり、身体が動かなくなって何もできなくなったり(何もしない、とか、したくない、というのとは絶対に違う!)、ひどい頭痛に苛まれたりするのだが、内科的異常は一切見当たらない、という厄介な病気だ。
 心身ともに病い知らず、という人には仮病にしか思えぬのだろうが、これがほんとうに「病気」であることは、一〇〇年ほど以前にフロイト先生が明らかにしてくれている。しかしいまだその認識のない世間一般の眼で言いっ放してしまえば、ぼくは気狂いなのだ。
 七月に入って一週間が過ぎようという頃、ぼくは突然、仕事に行きたくなくなった。誤解しないでほしい。ぼくは満足しないまでも、いまの職業も職場も同僚もとても気に入っている。やる気も充実して、日常的にすらなっていた頭痛や倦怠感もここ数箇月は感じてはおらず、もしやおれは最初っから病んでなどいなかったのでは、とさえ思えるようになっていたのだ。……七月六日までは。それが、七夕の朝、急に身体も気持ちも重くてならずに仕事に出るのが億劫になった。
 その日は無理矢理に身体を何とか動かして出勤はしたものの、つらくてならなかった。何がつらかったのか―――動きづらい身体を動かすことか、気が重いのに大勢の中にいなければならないことか、それとも―――。
 いいや、決してそんなことではない。理由は、ないのだ。何が厭だ、何が難い、そんなものは一切なく、だけど何もかもがつらくなる。
 頭の中で得体の知れぬ〈思想の獣〉とでも称するべきものが見境いなく暴れて理性を掻きまわし、大声を吐き出してもすっきりとはせぬほど腹の底が悶々として、何の前ぶれもなく感情が破綻して勝手に眼から涙がこぼれ落ちる。利き手の甲で、どうしようもなくこぼれ出る涙をぐいぐい拭うに至ってぼくは、〈自分〉が消失してしまうのではないかという泥濘のような不安に責め苛まれ、これは不味いと判断せざるを得なくなった。休養しなければならない、と。
 ある著名な精神科医によると、精神衛生のためには〈時折、日常を破壊すること〉が必要らしい。いまこそぼくにはそれが、故郷との物理的精神的別離が必要なのだ、数日の間日常から物理的に離れてぼんやりするのがおれの気狂いには一番効くのではないか―――ぼくは思った。旅に出よう。いま直ぐに、何処か知らないところへ旅に出よう。
 旅らしい旅に出たことがないぼくにとっては、ぼくの住む街以外は国内国外問わずすべてが知らないところだった。何処へ行こうか。ぼくの半ばイカれた頭は直ぐにふたつの候補地を挙げた。ひとつは岩手県花巻市。ひとつは岡山県津山市。どちらも、ぼくがこころから尊敬する詩人の出生地である。今回、ぼくは津山を択んだ。理由は簡単。ぼくの住む辺鄙な街から近い方、それだけのことだ。遠くへ行くには、ぼくの懐中は些か乏し過ぎた。
 津山へ行こう。その日思い立って直ぐにぼくは、重い足を引き摺るようにして上司の許へ行き、怖る怖るながら、一〇日ばかり休ませてくれ、と言った。後に考えてみれば大変な暴挙だ。盆暮れ正月だってせいぜい三日しか休ませて貰えないものだ。それを突然に、そんなにも長い間休ませろなんて、よくも言えたものだと思う。これを平気で言えたということは、ぼくは余程イカれていたのだろう。
 それが明らさまであったのか、休暇はあっさりと貰えた。家族の者にも、仕事を休んで旅に出ると、明日にも発つと急な話をしたが、これもあっさりと聞き入れられた。そんなにも、誰の眼にも余疑のないほど、おれは気狂いだったのか。神経症気味に刹那そう考えたが、これを覆してぼくは呟いた。障碍なくことが運んでいるのだからそれでいいじゃないか―――気狂いは何も気にするな。
 そうしてぼくは着替えと精神安定剤だけを中古で買った軍用背嚢に詰めて、故郷を発った。大阪駅まで電車に乗って、大阪駅からは高速バスに乗った。山陽新幹線に乗ればより快適により速く行けたのだろうが、そんな贅沢ができるほどぼくは裕福ではないし、高速バスは〈津山行き〉だったからそれ以上の乗り換えの必要がなくて、ぼくには好都合だった。
 中国自動車道を三時間ばかり走って一七〇〇時を少し過ぎた頃、バスは津山駅前に到着した。兵庫県と岡山県との県境付近、上月辺りから車窓に雨粒が水の筋をつけはじめ、美作では濡れた地面の色合いが濃かった。それを見たときには雨の中で宿を探さなければならぬのかと少し憂鬱に思ったが、西の空に眼を向けてみれば明るかったので楽天的にはなれた。そして津山は晴れていた。
 陽光の差す津山にも幾らか雨は降ったようで、バスを降りると雨上がりの湿気た暖かい空気に総身を包まれた。降車して、駅舎を見上げる。津山駅は以前にぼくがほんの一時期だけ過ごしたことのある神奈川県横須賀市の衣笠という駅に、駅舎も周辺の雰囲気もよく似ていた。
 失礼ながら、津山はぼくが想像していたよりも田舎だった。ぼくはぼくの故郷が随分田舎だと思っていたのだが、その市街地から少し外れたぼくが住む街と津山の田舎さ加減は同じくらいに見えた。こんなことを言っては津山生まれ或るいは津山に思い入れのある人は気を悪くしてしまったかもしれないが、この田舎さ加減が、ぼくの津山という街への、そしてここで生まれた詩人への親近感をより強くしてくれたのは確かだった。
 駅前に立つ観光客向けの看板には〈詩情の町〉と大きく書かれている。

 

二.詩人の生まれた町

 ぼくの尊敬する津山生まれの詩人は、まだ若い。確か昨年三〇歳になったところで、ぼくとそれほど離れている訳ではない。だがその表現するものは……ぼくと彼とでは天と地以上の格差がある。これは確実だ。
 ぼくは彼の飾らない、しかし決してありふれた使い古されたのではない、彼自身の彼だけの言葉で築かれた可変に見えて完璧に限りなく近い詩を読むたびに、感嘆するとともに歯噛みする。よろこびを感ずると同時に、片恨みにすら思う。あなたがこんなにも素直で秀れた詩を書くからぼくはこんなにもつらい思いをする―――己れの未熟さ加減など背の方に放り投げてそんな風に思わざるを得ないほどに、彼の書く詩は〈佳い詩〉なのである。
 いったい彼はどんなところで生まれ、何を見て育ち、どんな少年時代を過ごしたのか―――それが知りたくて、ぼくは津山を訪れたのだ。そう言って、それは構わない。
 津山駅から東に電車で一ト駅行くと、東津山駅がある。その周辺が川崎という名の町で、詩人の生家はそこにある。近くには吉井川という川が流れていて、その両岸は草木が生え放題だが決して見苦しくはなく、青々としている。緑に隠れて小鳥が頻繁に啼いて、川を渡る鉄橋からは時折、電車の汽笛が聞こえる。四方が山に囲まれて、静かだが豊かな心持ちで過ごせそうな町。そんな印象があった。ここが、あの詩人が少なくとも生まれてから一八年を過ごした町―――。
 彼が暮らした土地、歩いたであろう道、遊んだであろう広場……そんなものをできる限りに体感してやろうと、ぼくは駅前で借りた貸自転車でその町の隅々まで走った。
 その、さして大きくもない町の様子はこうだった。
 自動車が二台やっと擦れ違えるくらいの道の両側に、衣料品店や、薬局や、化粧品店や、郵便局、そんな決して特別でない、何処にもあるような店が並んでいる。郵便局の前に立つ赤いポストも、自転車屋の店先に並ぶ何台もの自転車も、おばちゃんが道端に立ち止まって大声で立ち話しているのも、午後には学生が談笑しながら通り過ぎてゆくのも、ぼくが生まれた町にもある決して決してめずらしくないものばかりだ。
 何か、何かぼくが見たことのないものがあるのではないだろうか……あるはずだ。何の根拠もなくそう思い込み、ぼくは町中を探しまわった。それは、何かあってほしいという願望だったのだろう。詩人と似た環境で育ちながら多くの点で遠く及ばない己れの無能さを認めたくないが故の焦燥であったのだとも言える。ぼくは何か得体の知れぬものに急き立てられ、どうしようもなく焦っていた。
 町の北端にある〈東部運動公園〉にも行った。それは自転車では登り切らぬほど勾配のきつい長い長い坂の上にあり、ぼくは自転車を押しながら歩いた。その坂はあんまり長くて、ぼくは途中で何度も立ち止まって息切れがおさまるのを待たねばならなかった。
 情けなくもなまった身体を叱咤して、〈運動公園〉とはいったいどんなものかと想像を巡らせながら長くて急な坂を上りきり、やっと辿りついたそこは、学校から運動場だけを切り取って、その横っちょに申し訳程度にブランコや滑り台などの遊具をくっつけた、そんな風な場所だった。ぼくがそこに着いたのは正午頃で静かだったけれど、放課後頃の時間になれば学童たちが思い思いにボールやバットやラケットや、そんな道具を持って集まってくるのだろうことは容易に想像できた。近くには中学校もある。
 もしやあの詩人も、長い長い坂の頂上にあるこの公園を駆けまわったことがあるのかもしれない、と思う。そう考えると、彼の詩から感じられる生命力の強さにも頷かざるを得ない。生命力とは活動することから生まれてくるのだと、ぼくは長い長い坂を上る間に薄らと気付きはじめていた。
 近くの中学校から来たのだろう運動着を着けた少年たちが、土を蹴上げながら公園を横切る。何の憂いもなくたったいまを愉しげに過ごす少年たちは、緑濃い木々の狭間で、間違いなくそこに生きていた。
 ああ、そうだ。間違いなく彼等は生きている。では、ぼくは―――?
 問い掛けて、ぼくは答えるのが少し怖くなった。
 少年たちは駆けていた。息を切らせながら、それでも愉しげに。



三.城のない城下町

 旧くは、津山には城があったらしい。〈本能寺の変〉で討死した森蘭丸の弟、森忠正が建てたらしいが、いまでは城は取り壊され、城址―――石垣だけが残っている。この城址が、現在〈鶴山公園〉と呼ばれている。〈鶴山〉というのは、ぼくの故郷の城を〈虎伏山〉と呼ぶのと同じ風なことだろうか。ちなみに〈鶴山〉は〈ツルヤマ〉ではなく〈カクサン〉と読む。観光客らしく、ぼくはこの城址を散策することにした。借りものの自転車を門前に停め、銀貨二枚を支払って公園に入った。
 何処の城もそうであるように、石垣は部分的に階段になっていて、上へ上へと上れるようになっている。城は高いところにあるものだから、天守閣があった場所―――本丸跡を見ようとするなら石垣の階段を何十段何百段と上らなければならない。本丸跡まで高さ四〇と数米らしいが、そこまで高く上ると津山市を一望できる。散策に来たはずのぼくは知らないうちに、鶴山に来た目的を本丸跡までより早く上りきることにすり替えてしまっていた。
 ぼくは段を上ることに躍起になった。身体がなまっているのも考えに入れず、脚の疲れも汗のべとつきにも構わず、むきになって上った。その途中、二の丸の辺りで旅行客であろうおばちゃんの群れに追いつき、暫く同行するかたちになった。
 おばちゃん連中はぼくよりもずっとトシで、体力も筋力もぼくより劣っているだろうはずなのに、みんなしゃきしゃきと―――勿論、そんなに高速ではないが―――階段を上ってゆく。敗けてはいられない、と何故だか(ほんとうに何の理由もなく)偶然居合わせることになっただけの旅行客相手に敵手意識を持ったぼくは、更に躍起になった。
 鶴山は緑に埋もれるように木々に囲まれていて、歩を進めるごとに緑の枝々の隙間から見える街の風景は、広く高くなってゆく。だがぼくは、そんなものは見ていなかった。見る気がなかった訳ではない。そんなものがあることにさえ、気が付かなかったのだ。息を切らせながら、大きな石でできた階段を黙々と上るだけだった。しかし、おばちゃんたちはそうではなかった。
 おばちゃんたちは口々にたいして意味のない言葉をこぼしながら少しずつ歩いている。連中は人数が多かったが皆が皆、団体を装って歩調を合わせる風もなく、ひとりひとりがそれぞれに各自の調子で進んでいた。遅れている者を急かすでもなく、先を行く者を待たせるでもなく、時折眼にする風景に子供のようにはしゃぎ、疲れたら遠慮なく「疲れた」と口に出す。歩くのがつらく感じたらその場で休憩を取り、それ等のことについて誰に文句を言うでも言われるでもない。
 観察しようなんて気持ちはまったくなく、ただ近くにいるから眼についただけのそれ等光景だったが、ふと気付いてぼくはすうっと息を吸い込み―――ああ、これでいいんだ、と思った。
誰に合わせることも競うことも要らない。駆け足がつらければ歩けばいい。つらいならつらいと、思っても口に出しても構わない。それ等は決して、甘えにはならない。飽くまで正直に、とことん素直に、己れの生涯は己れの進みよい歩調で進むがよかろう。それを咎める権利など、ほかの誰ひとりとして有してはいないのだ。
 ぼくはこのときはじめて、石段を上り続けて熱をはらんだ身体に涼しく心地よく吹きつける夏の風を感じた。短く刈り込んだ髪を掻き上げながら交錯する木々の枝の方に眼を向けると、郵便局や、新聞社や、観光ホテルの建物が手指で隠れるくらいに小さく見えるほど遠くなった街が少しだけ見えた。こんなに街が遠くに見えるほど歩いてきたのだということに、やっと気が付いた。
 誰かの歩調で進もうとするから、息苦しくなってくる。ぼくはいままで、自分が何処へ行こうとしているのかも判らないまま、ただ闇雲に駆け続けているばかりだった。つらいと感じながらそれを認めず、口に出すことを怖れていた。何故、こんなにも自分だけが苦しいのかを思い腹立たしかった。他の誰かに追い抜かれたり置いて行かれるのに怯えて、自分を逃げ場のない袋小路に追い詰めていた―――。
 ああ、そうか、そうなんだ。
 背伸びは要らない。早駆けも飛び越しも要らない。ぼくはひとつ息をついて、木洩れ陽や風のそよぎを見ながら、石段をぼちぼち上ってゆくことにした。どんなに遠い道程も、歩けば進んでゆくものだ。
地の上には小さな虫がいて、木陰からは見えない鳥の啼く声が聞こえた。頂上である本丸跡まではまだ遠いけれど、青い匂いを乗せた風が空から吹いてきて、ぼくは歩くことを苦に思わなかった。いままで眼には映っていたのに見えていなかったものが見えるようになって、鶴山に来たほんとうの目的―――散策することができるようになった。幾日か前まで抱えていた腹の中のもやもやを感じなくなったことに気付いたのは、もう少し後になってからだった。
 ぼちぼち歩いて、ぼくは本丸跡に辿りついた。幾段も幾段も石段を踏みしめて上り、確かに疲れるのは疲れた。だけど、石垣の頂上まで上りつめたぼくが感じていたのは、苦しい疲れではなかった。不当に感じる必要のない、快くさえある疲れを、ぼくは大切に思った。己れの働きに見合った疲れを感じることで、ぼくはぼくがいま生きていることを、身体で感じていた。首をまわして周りを見まわすと、眼下には津山盆地が広がっていた。
 鶴山本丸からは、山に囲まれた中に吉井川の速いけれど穏やかな流れが見える。川には何本も橋が架かっていて、その周りに甍の波がある。波間に時折、背高のビルや緑の木々が見え、それ等の隙を縫いさして、自動車や人が往来している。箱庭のようでいて、奥行きのある街並み―――これが津山の街、これこそが、あの詩人が生まれ育った街なのだ。要らぬ重荷をすべて捨てたぼくには、それがはっきりと見えた。鶴山から見る津山の風景を、こころから愛おしく思った。
 街を眺めるぼくの後ろの方から、旅行客のひとりらしいおっちゃんの、実に不満げな声が聞こえた。
「何や、何にもないやないか。」
 おっちゃんは不当に疲れてしまったらしく、この津山盆地の穏やかな街並みとそこを渡るすきとおった風を、見ることができなかったようだ。

 

四.郷愁の街

 津山を発つその朝、空模様はいまにも雨が落ちそうに灰色だった。故郷を発ったその日と同じ、重い色合いの空だった。
 はじめてこの地に足を降ろしたときも、川崎の街を巡り鶴山に上った日も、ともに晴れて暑い日だったから、大切な街の新しい表情を見られた今朝、ぼくの気分はむしろ爽快だ。それに、昨夜は久しぶりによく眠れた。
 ここ半年ほどぼくは、病院で貰う睡眠剤なしではなかなか寝つけなかったり、夜中に何度も目が覚めて深く眠れずに疲れを翌朝に持ち越してしまったり、つらい思いをしてきた。けれども昨夜は薬を服まなかった。それでも、ほんとうによく眠った。清々しいほどに。
 故郷での日常がぼくの神経に与えていた緊張を、異郷の地がほぐしてくれたのか―――いや、津山はぼくにとって、既に異郷ではなかった。
 病気が治ったのだ、とは思わない。精神の病いに完治はないことは知っている。でもいつだって歩いていけばいい。焦ることも怯えることも要らない。どんなに遠い道程も歩けばいつか進んでいく―――そうだろう、津山の街よ。穏やかな街並みには、ぼくの声を否むものはない。
 入っているものに変わりはないが出発時よりも少し軽いように思える軍用背嚢を両肩に掛け、ぼくは津山駅前から大阪駅行きの高速バスに乗る。まだこの街のすべてを知った訳ではないけれど、名残りを惜しむつもりはない。また何れ―――。
 車窓の外には、観光客向けの看板に書かれた〈詩情の町〉の文字が見える。また来るよ。そう小さく呟いて、ぼくは座席の背を倒した。硝子越しに、津山のくもった空が見えた。



〈了〉
950711.Tue.
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