安堵と親交の第7日 [2005年9月15日(木)]

いつも通りに早朝に目覚め、キッチンで食事を摂る。外は昨日とは一転してよく晴れている。しかし、今日こそはほんとうに一日出掛けずにゆっくりしようと思う。食事の後はベッドでごろごろしていた。
昼近くまで何をするでもなく横になっていた。そこに電話が掛かってくる。先日パッポン通りへ行こうと誘ってくれたFTMのHくんだ。「御話させてください」とのこと。「いまからどうぞ」と答えてリビングに出る。

Hくんは乳房切除と内性器摘出を一度に済ませて2日前に退院した23歳。まだ若いけれど言葉遣いがきちんとした好青年。入院していた日々の大変さを話して笑い合った。同じ、或るいは似た経験を持つと連帯感と言うか、強い共感と結びつきを持つことができるものだ。
手術のための麻酔が思いのほかしっかり効いたこと、身体にチューブが通っている不思議な感じ、術後はじめて歩いたときの不安、食事がまずくて喉を通らなかったこと……既に思い出になりつつあった。

Hくんが「やっぱり外に歩きに行った方がいいですよね」と訊ねたので、「つらくない程度に。ゆっくりとシーロム通りやルンピニー公園にでも散歩に出掛けてみるといい」と答えた。それから、ホテル周辺の道や屋台で買える食べものの話をする。
そう言えばそろそろ午だ。昼食を調達に行くのもいいだろう。「一緒に少し歩いてみるかい?」と訊いてみるとHくんは頷いた。ふたりで出掛ける。

退院したばかりのHくんに合わせて少しゆっくりめに歩こうか。そう思っていたが、その必要はなかった。彼は割合に速いペースで歩いた。術後10日が経つぼくよりも元気かもしれない。この回復の早さはやはり若さなのだろうか。
ソイ・サラデーン1通りからサラデーン通り経由でシーロム通りに向かう。サラデーン通り沿いには屋台村があって、食事もおやつも、食べもの以外のものも買うことができる。シーロム通りまではさほど遠くはない。シーロム通りにはさまざまな店があって大抵のものが買える。シーロム交差点を東へ曲がればラーマ4世通り、そこを通れば街を一周してホテルに戻ることができる。ラーマ4世通り沿いにはルンピニー公園という巨きな公園があるからそこを歩くのもきっと愉しいだろう。
歩きながら気付いたことをぽつぽつとそんな風に話した。途中で屋台のみかんジュースやカイヤーン(鶏のあぶり焼き)を買う。はじめての街での買いものにHくんは少し戸惑っていたけれど、明日か明後日にはきっと慣れてしまうのだろう。
1時間歩いてホテルに戻り、それぞれの部屋に別れた。

Hくんは見るものすべてに敏感に反応して、「すごい」、「きれいだ」、「旨そう」と素直に口に出した。気になるものを見つけては「あれ何ですか」と質問した。その反応のすべてがぼくには好ましく、また刺激となった。若くはつらつとして新鮮な反応を示す相手と同じ時間を過ごすのはやはり気分がいい。いい時間を貰った。
いい気分のまま買ってきたカイヤーンと白飯を喰って、CDを聴いて午後を過ごした。
陽が落ちるまでの間に、大阪のA社とガイドのM氏から、それぞれ電話があった。A社は「術後の経過はどうか」、「困ったことはないか」などサービスについてのケア、M氏は明日帰国の飛行機に乗るために0550時までにチェックアウトしてロビーで待っておくようにという指示。
0550時にチェックアウトでは朝食は摂れない。先刻出掛けたときに立ち寄ったコンビニエンスストアで買った菓子パンと缶コーヒーを朝食にまわすことにする。

日没頃に再度Hくんがやってくる。明日帰国だと話してあったので、明日の朝食を一緒にどうかと誘ってくれたのだが、明日の朝は早いのだと答えたらとても残念がってくれた。
そこから話し込み、その中で彼は乳房切除術を受けることでほんとうに穏やかな気持ちになれたと話した。術後間もなくで不安も痛みもあるのだろうに、とてもゆったりとした表情で。いままで乳房があるばかりに薄着になったり風呂などで裸になったりするたびに苦い思いをしてきたから、なくなってほんとうにうれしい、と。それから、勤めている職場や日本にいる家族や同居中の彼女のことを。
職場では大切にして貰っていて手術のための2週間の休暇も快く貰えたこと、だから帰国したら一生懸命働かないといけないと思っていること、手術をすべて終えたら同居している彼女との結婚を考えていること、自分と彼女の双方の両親に結婚の話を既にしていて理解も得られていること……彼は自分の境遇を「とても恵まれている」と言った。

理解ある職場や御両親があることを、彼がその有難さを確かに感じていて感謝の気持ちを持っていることを、ぼくはうれしく思った。彼は半年後には尿道延長術を受けにもう一度バンコクに来るとのだという。順調に運びますようにと願うとともに、ぼくは彼に言った。
手術費用を貯めるのにがつがつし過ぎると気持ちが荒んでしまうから、あまり切り詰め過ぎて余裕のない生活にならないように気を付けた方がいいよ、と。すると彼は、がつがつしてしまって「性格が変わった」と彼女に言われてしまったことがあり、それからは気を付けていると少し恥ずかしそうに答えた。手術を望む者は誰しも似た経験をするものなのだなと、ぼくは胸の奥で苦笑してしまう。
彼が早く気付いて、気付かせてくれる彼女がいて、ほんとうによかったと思う。あんなにぎすぎすと荒廃した気持ちを経験するのは、短い期間で充分だ。

明日の朝が早いことに気を遣ってHくんは早めに引き揚げてくれた。彼がいなくなった後、荷物の整理をはじめる。
洗面台に置きっ放しにしていた洗顔料や歯磨きセットを忘れないようにしなければ。セーフティボックスに入れていた航空券やヤンヒー病院で貰った診断書も忘れないうちに鞄に詰める。明日着る洋服だけを残してすべて鞄の中にまとめたが、帰りは荷物がひとつ増えてしまった。主に土産のせい。たいした重さがないから困らないのだけど。
持ってきた荷物がそもそも少ないから整理も直ぐに終わった。NHKの天気予報で明日のバンコクと日本の両方の天気を確認して、少し早めにベッドに潜り込んだ。どちらも晴れるらしい。

 

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