入院第3日(try to walk) [2005年9月6日(火)]

例によって途切れ途切れの浅い眠りを繋いで夜を明かした。窓外が薄く明るくなってきた頃に検温と血圧測定のために看護師がやってくる。
体温は水銀体温計を使って舌下で測る。看護師が差し出してくれるので口で受け取る。検温の時間を利用して血圧を測定。これも水銀柱血圧計。1日に4回、4時間ごとに体温と血圧を測ってくれる。
体温を確認した後の体温計は水洗いして枕許のサイドテーブルに置いてくれる。アルコール消毒をしている様子は微塵もない。これを「不潔」と感じる人は日本を出てはいけない。タイという国が不衛生なのではなく、日本人が潔癖すぎるのだ。

さて、引き続いて別の看護師がやってきて、やにわに点滴を外してくれる。そして速いペースで呼吸するようにとぼくに指示をくれて、そのようにすると一気にぼくの身体から排尿用チューブを引き抜いた。
このときに自分の身体に差し込まれたものはどんなものなのかとしっかり見たのだが、いわゆるカテーテルではなく、ゴムチューブのような太いものが出てきて驚いた。
尿バッグの始末をしてしまうと看護師は「今日から何を食べてもよい」と言った。「何でもいいの?」とぼくは聞き返してしまった。昨日は「水を少しなら」だったのに急に「何でも」か……それだけでなく、大きな声でにこやかに看護師はこうも言った。
「Today, try to walk!」
歩いてみなさいだって? 一昨日に腹を切ったばっかりだぞ。

術後はできるだけ歩くようにとは渡航前から聞いていたけれど、実際に歩くのはやっぱり怖い。ベッドから降りるのさえ。しかし、排尿チューブを外されてしまったからには、トイレにも自力で行かなくてはならない。
……まあ、後でね。
先延ばしにして、ぼくはベッドから動かなかった。点けっ放しのTVをぼんやり見ていると、食事が運ばれてきた。

いきなり通常食

御粥だけど……これ、全粥だぞ。しかも器が大きくて量が多い。おれ、まる2日間絶食してたんですけど?

絶食後の食事は、日本なら先ず重湯か三分粥辺りからしか喰わせてくれない。しかも、出てきた粥は絶食明けだから粥だった訳ではなく、ほんとうに「通常食」として出てきたようだ。それが証拠に、当たり前のようにデザートにケーキが付いている。
急に沢山喰ったら腹が吃驚するだろうな。そう思いながらも完食した。ケーキは日本で食べられるものと見ためは変わらないが、やたら甘い。甘党のぼくが甘いと感じたのだから、かなり甘味が強いのだろう。牛乳にも甘い味が付いている。
タイの人は、料理は唐辛子を使って辛くするけれど、デザートの類いはとても甘くするようだ。何せ屋台でコーヒーを注文すると問答無用でコンデンスミルクが入って出てくるという話だから。

食事を終えた途端に腹の中がぐるぐると音を立てて活発に動き出す。腸が動いているのが自分でよく判るのだ。「動いている」と言うよりは「のたうっている」という感じ。術創が開いてしまうのではないかと思うほどの勢い。痛いくらいだ。
でも「おれは生きているんだ」と思えた。おれの身体は生きようとしてこんなに暴れている。

食後暫くしてから医師の回診があった。ベッドの傍まで来て「飯は喰えたか」と訊かれる。全部喰ったよと答えると、「よろしい」と頷いて医師は患部は見ないでそのまま出て行った。
その後直ぐに尿意を覚えたのでおそるおそるベッドを降りた。―――と言うほど、簡単にはいかない。
一旦横向きにゆるゆると寝返りを打って、ベッドに手をついてそっと身体を起こして、それから身体の向きを変えてベッドから足を下ろして、ゆっくり床に足をつけて、じわじわと体重を移動して、術創を手で圧迫しながら(こうすると痛みが少ない)両足で立つ。このすべてを腹筋が力まないようにしなくてはならない。……ひどく時間が掛かるし気も遣う。

足を引き摺るようにして1歩ずつをじわりじわりと進む。日常生活の中では気付きもしないことだが、床から足を僅かに浮かせるだけでも腹筋には力が入ってしまう。痛みよりも、怖さの方が強い。勿論、痛いから怖いのだけど。
ベッドから見えている扉に近付くのに随分時間が掛かった。
トイレは洋式。腰掛ければいいのだが、腰を下ろすときにはやや前屈みにならなくてはならない。この姿勢が案外腹筋に力が掛かる。両手で術創を押さえてそーっと腰を下ろす。すわっただけでほっとしてしまう。目的はまだ果たされていないのに。
排尿するためには僅かながら力まなければならない。それが不安だったが、思うより楽に出て行ってくれた。さて、同じ手順を逆転させてベッドに戻らなければ。

ベッドに上がる前に、病室の端から端までを2往復ほどしてみた。ゆっくりそっとじわじわとだが、歩ける。自力で歩ける。少しだけ、自信が出てきた。
ベッドに腰掛けたところに、病院の通訳女史が現れた。日本語で話せるのが有難い。「何か必要なものは?」と訊ねてくれるが、特にほしいものはない。明日は退院ですね、できるだけ歩くようにした方がいいですよ、と言ってくれる。手術翌々日に歩かせて、その翌日に退院というのは、この病院では当たり前のスケジュールらしい。
明日の午後には病院を出る。少しずつでも歩く練習をしておかないと。通訳女史が退室した後も、病室内をゆっくり歩いてみた。

盛り盛り昼食

入院初日に食事はタイ食がいいか洋食がいいかを問われる。ぼくは洋食と答えたはずだったが、運ばれてきた昼食はどう見てもタイ食だ。
写真上段左側は、きしめんをもっと薄く引き延ばしたようなものを油で炒めてある。その隣りは蒲鉾の類い。下段左側は辛いスープ。挽き肉が入っている。右側は甘い豆のスープ。……こんなに沢山喰えない。申し訳なく思いながらも残す。

食後に眠くなったので少しうとうとと眠った。眠りが途切れた頃にガイドのM氏が病室を覗きに来てくれる。やはり「歩くように」と言われる。ぼくの病室がある8階ロビーにはインターネットブースがあって、30分間につき20バーツ(約60円)で利用できると教えてくれた。連れて行ってほしいと申し出て、場所を教えて貰う。術後はじめて病室を出た。
のそりのそりと通路を歩く。改めて見ると、この病院はとてもきれいだ。新しい建物だし清潔感もある。
この病院だけなのかタイではこれが普通なのか判らないが、詰所というものがない。その代わりにサービスカウンタのようなものがあって、病室を巡回していない看護師はそこにいる。そのカウンタの前にインターネットブースはあった。「24h OK」と書いてある。24時間いつでも利用できるということだ。

日本の病院では考えられないことだが、ヤンヒー病院には「消灯」がない。いつまで起きていてもTVを点けっ放しにしていても病室の外を徘徊していても、叱られることがない。日本の病院だと消灯時間以降に照明やTVを点けているだけで注意されたりするところだ。
もうひとつ日本では先ずないことは、日勤、準夜勤、夜勤とそれぞれの当直時間のはじまりに、看護師全員で病室を訪問してくれることだ。「これからの時間はこの顔ぶれが勤務します」という顔見せなのだろうか。はじめてそれに出喰わしたときには何ごとかと思った。夜勤がはじまる時間などは2300時という深夜。そんな時間に大勢の看護師が一斉にやってくると吃驚するでしょう?

病室に戻り、割りと沢山歩いたような気がするのでベッドに上がって休んだ。病院のTVはNHKも映るが、何故か日中は映らないことが多い。放送自体がお休みなのかと思っていたが、そうではないことが退院してから判った。
タイ語の放送を見てもまったく判らないので、日本でも見ていた「Discovery Channel」を見る。こちらはタイ語だったり英語だったりするが、1度日本で見た放送をもう1度見れば内容が判っているからタイ語にしろ英語にしろ言葉が判るようになるかもしれない、という期待も僅かに持って。渡航直前に日本で放送されていた米海軍の潜水艦を特集した番組を放送していたので、毎日それを見ていた。言葉が判らなくても潜水艦は恰好よかった。

1430時という半端な時間に食事が運ばれてきた。正確には食事ではなく、おやつだ。病院でおやつを出して貰えるとは、日本ではなかなか考えにくい。

はじめてのおやつ

昼食をあまり食べられなかったので丁度小腹が空いている。よろこんで食べはじめる……が。
やっぱり量が多い。ひとりで喰う量ではない。でも意地で喰った。林檎は乾いていてしょっぱかったし西瓜は少しも甘くはなかったが、葡萄は旨かった。それにしても、絶食明けにこんなに喰っていいのか?
「Nesvita」という謎の飲みものはこれ↓

ねすびーた

病室には湯沸かしポットが置いてあるので、その湯でインスタントコーヒーのように溶かして飲む。実際に飲んでみたが、飲んでもよく判らなかった。甘くてコーンフレークをふやかしたような……御免、旨いとは、おれには言えない。
しかしこれはタイではポピュラーな飲みものらしく、退院してから行ったBTS(高架鉄道)の駅には沢山これの広告パネルが貼ってあった。

おやつを終えて、また少し歩いてみようかと思っていると、看護師ふたり組がやってくる。入院着を抱えている。
「身体を洗いたくない?」
清拭をして貰えるようだ。昨日もしてくれたのに。してほしいと答えて、腰掛けていたベッドから降りた。部屋の隅に置いてある椅子を用意してくれたので、それにすわる。ベッドから椅子へとそろそろと移動するぼくを見て、看護師が「ゆっくりね」と言ってくれる。
後で知ったが、この病院では毎日午前と午後にそれぞれ1回ずつ清拭をするか訊いてくれる。毎回すると言ってもいいし、断ってもいい。これも日本の病院では先ずないこと。清拭なんて2〜3日に1回して貰えればいいところだ。

上着を脱がせてくれて、左右の両側からふたり掛かりで身体を拭いて、更に手に石鹸を泡立てて身体を洗ってくれる。ぼくは黙ってすわっているだけ。まるで王さまだ。しかも彼女等はナース服姿だ。……特殊な風呂屋に行くとこんな感じなのだろうかと、少しだけ考えた。
ふたりの看護師の一方が話し掛けてくる。
「Do you have a girlfriend?」
ぼくは英語を聞き取るのが下手だ。聞き直した。「彼女いるの?」そう訊かれているのだと判った途端に「いないいない!」と慌てて答えた。手で直接身体に泡をつけて洗って貰いながらそんなことを訊かれたら、ますます妙な気分になるじゃないか。
ぼくは冗談の類いだと思ってちょっと大袈裟に答えたが、彼女はとても意外そうな表情を見せて訊ね返してきた。
「ほんとに?」
「うん」
「ひとりなの?」
「ひとりだよ」
多分一生ひとりだよ。そう思ったけれど言う必要もないし、英語でどう言うのかも思いつかなかったから、それきり黙った。ぼくの身体から泡を拭き取ってパウダーをつけて、ぼくの着替えを手伝った後、ふたりの看護師は部屋を出て行った。
清拭をして貰うと、やっぱりさっぱりする。

清拭が終わると夕食前に服む薬を持った看護師がやってきて、その後には食事が来る。食事の後には食後に服む薬を持ってまた看護師が来て、もう少しすると体温計と血圧計を持った看護師が来る。病院の1日は結構日程が詰まっていて、それほど退屈でもない。

初日の夕食

御粥は白粥。写真下段のカリカリの小魚には濃い味が付いているので、これを入れて食べると旨い。タイの米は長粒種で日本の米とは違う。だから同じ方法で炊いたりすると旨くないが、粥やチャーハンにするととても旨い。粥の隣りは卵と苦瓜とビーフンを油で炒めたもの。ゴーヤチャンプルーか。苦い。その下はチキンカツ。若者向けに味が濃い。デザートはメロン。味がない。
やはり全部は喰えない。量が多いし、だいたい、おやつから時間が近すぎる。だから喰えない。と、このときは思っていたのだが。

夕食後に通訳女史が再度来てくれた。食事の喉の通りがよくなかったので食事内容を変えて貰えるように頼む。食事のときは気付かない振りをしていたが、うっすらと自分でも感じてはいたのだ。確かに身体が弱っていると。弱っているときに喰えないというのは、更に不味い。洋食なら日本で喰っていたものに近いだろうから、もう少し喰えるのではないかと思った。
それから、この病院に来てからぼくは術式や投薬の内容についての説明を1回も受けていないから詳細を教えて貰えるように言って貰えないかと申し出ると、回診のときに同席するようにするとは言ってくれた。しかしこれは退院まで果たされることがなかった。
要らないものは取って貰えたし切った痕も回復してきているし、まあいいか。
こう思えない人はこの病院での治療はやめておいた方がいいだろう。

固形物を食べたら、数時間後には固形物を出さなくてはならない。いよいよ催して、ぼくはトイレに向かった。どれほどよい状態のものを出すときにも、少しは腹筋に力を入れなければならない。果たしてできるのか。排尿よりも更に不安である。
力んだら縫い合わせた傷が「ぶち」と音を立てて弾けそうな気がしてならない。術創を両手で押さえながらおそるおそる力んでみる。健康なら意識せずにできることなのに、無闇に緊張する。
少しだけ出せた。腹の中にまだ残っているようだが、これでよしとしておく。

夜半から喉が痛みはじめ、痰が絡むようになる。風邪気味か。身体が弱っているときに不味いなと思うが、痰を切ろうとするだけでも腹筋に力が入って術創が痛む。咳など以てのほか。だが喉の痛みと痰に伴って咳が何度も容赦なく出そうになって身体一杯に痙攣する。そのたびに腹を押さえて怖い思いをする。
それでなくとも寝つけないのに、眠れる状態ではなくなった。眠らないともっと弱ってしまうのだけれど。

 

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